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同志社女子中学校

新島 八重
新島 八重
2013年1月6日より、NHK大河ドラマ「八重の桜」の放送がスタートした。

主人公の新島八重は、同志社の創立者・新島襄の妻として、また教員の一人として同志社の女子教育の礎を築いた人物である。「幕末のジャンヌダルク」「ハンサムウーマン」「日本のナイチンゲール」とその時々に印象的な言葉で紹介される八重の意志と行動の生涯は、このドラマを機にさらに共感を呼ぶにちがいない。また会津(福島県)出身である八重の力強い生涯がドラマとなって描かれることで、復興を目指す東北(東日本)の人々を勇気づけることになるだろう。

同志社女子中学校・高等学校は、新島八重が教壇に立った同志社女学校における女子教育を受け継ぎ現在に至る。自由な校風の中で、自身を律する強い行動力を備えた国際色豊かな女子たちの育成を目指す同校。そこに刻まれているのは、やはり新島八重の枠にとらわれない柔軟でパワフルな生き様なのではないだろうか?  そこで、以前より彼女の功績を高く評価されている同志社女子中学校・高等学校の太田信幸校長に、新島八重と同志社の女子教育について話を伺ってみた。

明治期に斬新だった!

同志社女子中学校・高等学校 校長 太田 信幸先生
同志社女子中学校・高等学校
校長 太田 信幸先生
同志社の女子教育は、同志社の創立者・新島譲が「同志社英学校」を設立した翌1876年、京都御所内のデイヴィス宅においてスタークウェザー女性宣教師と新島八重によって始まりました。これは京都初のキリスト教による女子高等教育機関で、のちに本校と同志社女子大学の前身である「同志社女学校」になります。八重は同志社の女子教育の発展に貢献したというのが正しい表現かもしれませんね。
『新島夫妻の墓』
『新島夫妻の墓』
同志社女子中学校・高等学校では、
入学時と卒業時に墓前礼拝を行う。
明治期、女性は料理と裁縫がうまく、家庭を守るだけでいいという考え方が一般的でしたが、八重たちは男性と同じように社会に出て活躍するために女性も教育を受けるべきと考えました。その時代にあって、かなり斬新だったのではないでしょうか。
創設時から国語、社会、英語等々、一般教育科目にも取り組んでいたようです。これはキリスト教主義教育、そしてリベラル・アーツ教育が土台にあったからこそ実現された授業内容だと思います。実学ですぐに役に立つ科目(授業)もありますが、役に立つかどうかの尺度ではなく、世の中に出て、社会のためにどう奉仕をしていくのか、時として社会の弱者のために何ができるのか、という立身出世とは別のベクトルを持っていました。こういった創設時からの流れは、今も同校にしっかりと受け継がれています。

「ハンサム」とは、「個としての自立」

『新島旧邸』
『新島旧邸』
寺町通丸太町上ルに新島夫妻が暮らした家が
ある。新島襄が設計したと言われている。
また八重は、夫である襄に「ハンサム」と称されました。それは自分の意見を持って「凛として」生きる八重に対しての夫からの賛辞ですが、襄が亡くなったあとも八重は日本赤十字社正社員となり、日清・日露両戦争時には従軍看護婦として活躍しています。
自分の意思に従って、自分の意見を貫いて生きた。まさに「ハンサムウーマン」だったわけですね。
『新島夫妻の墓』
『栄光館(同志社女子中学校・高等学校)』
新島八重の葬儀は、同志社社葬として
栄光館で行われた。
現在、同志社の女子教育を受けた「ハンサムウーマン」は、福祉関係、教育関係、ありとあらゆるジャンルにおいて、また日本だけではなく世界中で活躍しています。
「ハンサム」という言葉に込められている想いは「個としての自立」。「自立して生きなさい」「凛々しく生きなさい」ということです。長いものに巻かれずに、ぶつかってもいいし、叩かれてもいい。自立して生きてほしい。女性だからこうあるべきだとは考えず、人間としてどうあるべきかという視点で、同志社の「ハンサムウーマン」たちは社会や世界に飛び出しています。

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